第194回 「孤」から「個」へ

それでも花は咲く。それでも春はくる。
それでも花は咲く。それでも春はくる。

どうにも3.11以降他のことを話題にしてブログに書こうにも、常にこの事実をどう捉えていくべきなのか、どういう形で自分なりに捉えていけばよいのかを考えてしまいます。

仕事であってもプライベートであっても、話題はあの日以来全く変わったといっても過言ではありません。毎年恒例の親友たちとの花見の場で、過去死生観について語り合うなんてなかったことに気付き、しみじみとその変化を感じました。

ただ、私はこの変化は素晴らしいことだと思っていますし、その実感を感じています。
ここで「私達日本人はこういうふうに変わるのだ」ということを世界に向けて発信することで、新しい問いを皆で考えることができる絶好の機会だと思うのです。

振り返ってみるとバブル以降に私達日本人が辿ってきたのは、効率至上主義や、成果主義、自己責任論といったもので、結果としてそれは多くの「孤」を生みだす結果を招いていたのです。
朝日新聞の「孤族の国」という連載企画が社会的にも大きな話題になったことが、皆がそのひずみに気が付いていたということを証明していると思います。

そんな矢先、3.11が起こったのです。

多くの人が迷いながらも、次に進むために動き始めています。
今回の震災が隣近所で助け合って生きてきた東北の人たちを襲い、過酷な状況を培ってきた絆で支え合っている・・・
古くから日本が大事にしてきた関係性のもとに成り立っているその姿に、諸外国の人が驚きと尊敬の念を寄せているという事実は、あまりに象徴的であると思わざるを得ません。

ただ、それを全く従来通りに踏襲するのではなく、これからの日本が新しい価値観のもと、新たな方向を明示し、しっかりとした歩みを見せていくために、従来の「孤」ではなく互いに認めあう「個」である必要があるのではないでしょうか。

しかしこういう言い方をすると、「愛すべき不器用でお人よしの日本人」は、ともすれば「弧にならなくてはいけないのか」と勘違いする恐れがあるかと思いますが、その間違いを繰り返さないように「個」を前提にしながらも、今まで以上に誠実に付き合いができる仲間を増やしていきたいと心から思っています。

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